ぽっかり


子供の習い事の待ち時間にぽっかり空く時間があります。
ちょっと
ホッと一息。
ここ何ヶ月かいろいろな事が山積み。
今度の展示のDMを制作したのですが、ずっと使ってきたMacBookをこの間パワーアップしたばかり。ハードディスクを取り替えたのは良いのですが、そのついでに何と夫がOS も最新のものにしたらしく、これまでのプリンターが使えなくなってしまいました。エプソンに問い合わせても新しいドライバは出ないとの事。トホホです。ソフトもなんだか動きが悪く、プリンタも買い替える羽目に‥‥。まだ動くのにもったいない。古いパソコンもあるので、机の上には2台のプリンター。そんなこんなでゴールデンウイークからバタバタです。
展示と展示の間に納品の物を制作というスタイルなので、時間ばかりが過ぎお待たせしておりますので気持ちばかりが焦り焦り。。。すみません。

こんな時、子供が小さかった頃の事を思い出します。笑っちゃうくらい自分の時間がない何ヶ月か。ご飯食べる時間もなかったのはあの時が初めてだった。
その時と比べれば、なんのなんの、、。

でも落ち着いて制作をして、また、お客様にも作ったものをお届けするには少し何かを変えたほうがよいのかなと考える今日この頃です。
自分を過信せず予定をたてねば。

昨日は母の日。子供たちが協力して肩掛けバッグを作ってくれました。刺繍のちょうちょは小二のお裁縫男子。肩掛け紐と本体はホッチキスでとめてある。(笑)そして布は私が大学時代に愛用していたけど破れてしまったマフラー。端切れ入れからたまたま持ってきたらしく、母にはなんとも嬉しい贈り物。
あ、でもホッチキスが取れそうなので、何にも入れないで持ち歩くよ。

子供が作ったもの、拙くてもパワーがあります。
木工をやっていると◯◯さんのようなもの作ってください。と言われることもあり、悩みます。ここでお断りすると、なんだか仕事を選んでいてこだわりすぎているのではないかしらん、そんな事も考えます。誰でも作っているものをさらりと自分のものとして出す。それはカッコ良いことかもしれないけど、それには◯◯さんへの配慮と、もし作ったとしても尊敬や感謝はなくてはと思います。
お取引のご連絡をいただいていたお店に偶然かもしれないけど自分のものと似ているものを納品している作家さんがいました。たまたま知り合いで、その方の以前作られていたものをいいなと思っていたのでもう作らないの?伝えたことがありました。今作ってるものは誰かが作ったものをアレンジして作っているように見えたのだけど、以前のものにはこれから産まれる卵のようなパワーがあるように感じたから。でも、その方からの答えは売れないので作れないということだった。誰もが作っているものをつくることを求められるし、やはり売れるのかもしれない。アレンジするだけでいいし。
それで、それは当たり前の事だと。売れるものにも最初作った人がいるはずだけど、広まるのは当たり前。一から積み上げてものづくりをするのでは生活できないのだ。そしてその最初作った人のオリジナリティを言うことも否定されてしまいました。
アレンジはたくさん作ってもあくまでもアレンジ。過程があるかないか、そして人が作ったものでもその重みを感じれるかどうか、それって大事だと思うんやけどなぁ。ちがうかなあ。おんなじように思ってるひといないかなあ。

実際世の中ではそうだし、なるほどという理由ですが、これはかなりこたえました。外側には現れなくてもチカラを持ったもの。卵のうちになくなってしまう。。
でも、私ごときがなんか言ってもこの状況は変わらないんだなあということも実感したし、逆にせめられもして嫌な思いもしてしまった。未だにそのときを思うと涙が出そう。作品をいいなあと思っていたのでとても残念でしたが、私はその人の生活を支えていけるわけではありません。余計なお節介になってしまいました。

まずは自分の中での答えは、決まっています。ご飯よく食べて、よく歩き、遠くを眺め、近くを大事にし、そして作ることです。良いと思う方向に進んで行くしかありません。過程を大事に作る。器用じゃないので少しずつだけど。今までも今からも変わらず。卵を育てるべく続けていく。

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